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この物語はフィクションです25

5月6日


仕事も一段落し、いまは考え事をしている。
忙しくしている間に、考え事は溜まりに溜まっていた。

ひとつには、黄金週間中、仕事で同僚がミスをしたこと。
いま思えばごくごく些細なことだったが、
完遂間近の仕事が私の眼の前でふいになってしまい、
私は人知れず大いに憤慨し、そして焦った。
あのとき私には、とにかく余裕がなかった。
同僚をフォローする言葉をかけることができず、
極めて無味乾燥に「またやりなおすからいいです」
と言いっぱなしにし、その後も何ひとつフォローをせず・・・

「さっきは大失敗しちゃって、ごめんなさい」

と当事者が私に謝ってくれたにもかかわらず、
おそらく私には先方を許すつもりがなかった。


正直な気持ちを言うと・・・

私はその同僚が、はっきり言って好きではない。
どちらかと言うと、嫌い・・・いや、大嫌いだ。
顔を合わせる機会が少ないので、
普段はその存在をやりすごしているが・・・
はたしてそれで良いのか。

ただ、なぜ私がその同僚を嫌うのかは、はっきりしている。
誰かに怒られるのが嫌で仕事を頑張ろうとするからだ。
「誰かに喜んで貰えるように仕事を頑張る」
ことと、
「誰かに怒られないように仕事を頑張る」
ことは、似ているようでいて、まったく違う。
そして私は、後者に偏ったような人間には同情しない。

それはたぶん、言い換えれば・・・
私はそういう人間の気持ちを汲もうと試みたことがない、
ということなのだと思う。
きっと、いままで見落としていたものがそこにある。

仕事が落ち着いたこの機会に、じっくり詰めていこう。


もうひとつは・・・人の心。

野に咲く花のように―
雨の日には濡れて、晴れた日には乾いて―
だとか、そういった在り方に私は美を感じるのだが・・・
人の心は、あまりに難しい。
もしくは、あまりに単純だ。

私がいま、人の心というものに感じている疑問は・・・

あるいは、無意味なものかもしれない。

たとえば野の花は、野を愛しているか。
自らを愛しているか。
野に咲くことを望んでいるか。
自らの存在を望んでいるか。

まさに、それを問うようなものだ。
私が望むものは、どこまでが望ましいのか。
ともすれば、私に唯一できることは、
自分のために彼らを慈しみ、


愛すことだけなのではないか、と―
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