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ゆとり教育2

ああ、こんなん誰が読むんだろう。(笑

まぁいいや。
可愛い生徒可愛くない保護者が右往左往している現状に、
多少でも納得できる理由を見つけられればそれで十分です。

注 : 駄文です。しかも長い。
   後日続きがあります!
<中学校学習指導要領の比較>

対象 : 文部省告示第176号改正前(平成10年) ・ 文部省告示第176号改正後(平成15年)
     処々で新旧対照表を参照

えぇと、 改正前のせいで新たな問題が発生してしまったわけですが。
どのような目的をもって何を変えたのか、気になるところですねぇ。
相も変わらず翻訳が必要な文体で何を述べたのか、見てやろうじゃないですか。


※ 告示第176号(改正後)に関して

目立った点は、具体例の提示・説明がより詳細になるよう気を配ったらしいところですね。
語彙の定義に関してはほとんど改善が見られていない(そもそもできるんでしょうか)ので、
そんなに足したってどうということもないでしょうけど。
政府として具体的な提示に努力はしてるみたいなので、別にいいや。
それに関しては後で書きます。

ただひとつ、本当に気になるところがありました。

・ 第1章 総則 第2の2
改正前)
第2章以下(学習内容のことです)示していない内容を加えて学習することもできるが、その場合には、(※以下、下も同じです)第2章以下に示す各教科、道徳、特別活動及び各学年、各分野又は各言語の目標や内容の趣旨を逸脱したり、生徒の負担過重となったりすることのないようにしなければならない。

改正後)
第2章以下に示していない内容を加えて指導することができる。また、第2章以下に示す内容の取扱いのうち内容の範囲や程度等を示す事項は、すべての生徒に対して指導するものとする内容の範囲や程度等を示したものであり、学校において特に必要がある場合には、この事項に関わらず指導することができる。ただし、これらの場合には、(※)

はて、この部分、何でこんな風に変えられたんでしょうかねぇ?
実は同じような部分がたくさんあるんですが、改正後の下線部は
「第2章以下の部分は生徒全員ができるべき最低限の学習要綱なんだからねッ」
というニュアンスが足されているように思います。
ちゃんと全部扱って習熟度を上げろということなんでしょうけど、わざわざ足すんだから、
きっと改正前には第2章以下の部分が実効的に損なわれる恐れがあったはず
だと思うんですが、どうです?
別に減らしていいとも書いてませんし、
減る恐れがあるようなことも書いていないように見えるんですけど。

あれ、私って変ですか?

おそらく、何箇所も同じように変えられていることから、


<考察>

改正前では減らした学習内容すら十分に教えられていなかった
ことしか考えられません。
日本語読めるかどうかっていうのもアレですが、まず読んでいない可能性もあります。
それも後で書きますが。

私はここで「教師の質」というものに思い至ったわけです。
この教師の質に関しては
(1) 社会問題としてのいわゆる「問題教師」(反社会的性癖をもつ、体罰などを行う)
(2) 受け持つ生徒の学習習熟度が異様に低い教師

の2種類の問題があると思うんですけど、(2)に関してとくに関係が深いと思います。

私はさらに、ここでようやっと、
「改正前で大幅に学習内容を削減したのには、習熟度を上げる目的もあったのか?」
ということに気付きましたが、削減しても習熟度を上げるに至らなかったのは、
(なんか大幅に学力低下しちゃいましたね)
習熟度の不振は学習内容の難度にそれほど関係ないかも。
ということでしょう。

そこを踏まえた上で、教師の資格問題が取り沙汰されているわけですか。
_____________________________________

そうだとするとこれは、学習内容を削減しても習熟度がある程度高ければ
学力が大幅に低下することはないだろう
という考えに基づいていると思われますが、そこに異論はないです。
学校の学習内容が大幅に削減されたとて、少なくとも私の住む地域では

公立高校入試の学校ごとの最高点・難度はほとんど変わっていませんし、
削減された内容がもとで学力点が大幅に下がるということはないだろう

と思います。

それにもかかわらず、中学生全体の平均学力は下がった。
中学の学力テストのスコア別人数分布をご覧になった方はよくお分かりかと思いますが、
点数の高い子が上に何人かかたまっていて、
真ん中らへんがほとんどいない状態で下の方に残りの子がごっそりいる
のが、今の最も平均的な公立中学校の学力分布であろうと思います。
かつての受験生であり、現在講師をしている私から言わせていただくならば、

点数の高い子たちのレベルは昔と変わりませんよ。

昔といっても私が中学生だった頃のことですが。
学校で成績の最も良い子達は、たいてい学習塾に通っている子である
というのも変わりません。
ただ、学校にしか行っていない子達の成績の悪さは拍車がかかって見えます。
こちらは裏を取っているわけじゃないですが、
教育関係の仕事に携わる人では同じことを仰る方もいます。

_____________________________________

すいません、残りの項目は後日書きます。
おやすみなさい!!
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コメント

>語彙の定義

「難しい」ってより厳密に哲学的には「不可能だ」と言うべきでしょうな。
辞典を見ると、たいていことばの説明というのは円環構造をなしています。
ぐるぐるぐるぐるまわって、結局戻ってくる。
ある循環した体系を言語がもっているということなんでしょうな。
でも、それにしたって、作業仮説的な定義というのは冷静な議論には
確かに必要なわけで。それについて議論するのが官僚や政治家の重要な
仕事のひとつには違いないのでしょう。まあ、書けるほど煮詰まってないというか。
あまりソリッドにやってしまうと、言い訳できないというか(爆


>第2章以下の部分が実効的に損なわれる恐れがあったはず
>だと思うんですが、どうです?

生徒の過重負担を懸念して、というのが学習指導要領改訂のひとつの原因であった
とそのように推測されますが、でもそれは大して意味なかった。なぜか?
教科書が厚かろうが薄かろうが、
寝る奴は寝るし、寝ない奴は寝ない。勉強する人はするし、しない人はしない。
そこんとこをかなり見誤ったように思われます。


>ただ、学校にしか行っていない子達の成績の悪さは拍車がかかって見えます。

これについては強烈に異を唱えさせていただきたい。
教育の神髄というのは、難しい知識を教えることにはありません。
むしろ、独り学ぶ人を育てること。
単独で知識を吸収し、単独でその情報を処理、それをもって他人と議論ができる人。
これが教育の最終的な形態ではないでしょうか。
つまり、塾に行っているからいいとか、学校だけだからよくないとか、
そういう問題では断じて、ない。
点数の取れるヴァカ、点数の取れない切れ者は確実に存在します。
もちろん、点数も取れる切れ者、点数も取れないヴァカもいるでしょう。
ヴァカや切れ者の基準を一概に決定するのは至難の業なので、
以下話題を得点に限定しますが。
点数が取れる人も別に塾に行くから、ではないはずです。
塾に行くことは学習の機会を人為的に介入して増加させるだけのことです。
自ら学習の機会や意欲を確保する生徒なら、何も塾に行くことはない。
そういう意味では、私個人は弱かった。ヴァカであり続けた。
まあ、最近は少しましですが(…と信じたいなあ)。
意欲さえあれば塾に行かなくても、
高い得点を維持することは不可能ではありません。
上にあったような発言は、そういう生徒たちの努力に敬意を払っていない
のではないかと考えざるをえません。


>教師の資格問題
なんかね、確かに問題大きいですよ、これは。
1) 学力的な問題
きわめて学力の低い先生が、残念ながら少数いらっしゃるようで。
これは問題です。あと、上の文脈で言うところのヴァカもいる。これは困る。
教科書から黒板へのコピー機とか、自動翻訳機と化している先生がいるのは
恐らく先生がヴァカだらけの生徒たちに絶望するあまり
意図的にそうすることで諦念を表現しているか、あるいは
先生ご自身がヴァカかのどちらか。使えね~。
2) 常識力の問題
私がかつていた中学に卒業後訪問したところ、絶望的な光景を見ました。
スカジャン来て、うんこ座りでタバコ。おいおい、担任はだれだ、この不良生徒…
と思ったら彼はなんとその中学校の新任教師!
教師としての姿勢よりも、個人的な趣味が、先行している例。しかも勤務時間中に。
ちなみに彼は担当の生徒をひとり妊娠させた後、ほかの中学校に転勤と
なったのだそうです。
教師の資格は、もっと慎重に検討されなければならないでしょう。
免許更新を導入なんて話も、最近ちらほら聞こえてきますがそれだけでは足りん。
いっそ第三者機関も参加させた方がいい。
相応の費用がかかってしまうでしょうが、子供たちの安全には代えられません。

>You-Know-Who

もぉ~、最後まで書いてからコメント・・・
ってのは無理か・・・穴だらけだしそのつもりで書いたからな。(笑

非常にいい指摘だ。
ありがとう。


>>語彙の定義
私は、正直言って不可能だと思う。
厳密な定義をしようとしたときに出てくる問題が多すぎる。


>>第二章以下の部分が実効的に損なわれる恐れがあったはず
>>なんですが、どうです?
>そこんとこをかなり見誤ったように思われます。

そう、学校での学習内容が多少変わったところで、
先生の話を聞かない生徒が依然として存在することに変わりはない。
問題の解決を急ぎたい気持ちは分かるが、
もう少し多岐にわたって原因を想定しておくべきだったと思う。

>>ただ、学校にしか行っていない子達の成績の悪さは拍車がかかって見えます。
>上にあったような発言は、そういう生徒たちの努力に敬意を払っていない
>のではないかと考えざるをえません。

うん、敬意は払ってないな。
なぜならば、面白くもない勉強をわざわざ、
しかも成績を上げるためだけにやってるような
そんな子達にそれほど深く共感できないからだ。
ここで嘘を吐くつもりはない。
ただし、その下の部分は私も同じ考えだよ。

>教育の神髄というのは、難しい知識を教えることにはありません。
>むしろ、独り学ぶ人を育てること。
>単独で知識を吸収し、単独でその情報を処理、それをもって他人と議論ができる人。
>これが教育の最終的な形態ではないでしょうか。
>つまり、塾に行っているからいいとか、学校だけだからよくないとか、
>そういう問題では断じて、ない。
>点数の取れるヴァカ、点数の取れない切れ者は確実に存在します。
>もちろん、点数も取れる切れ者、点数も取れないヴァカもいるでしょう。

ここの部分を一般的な概念として定着させ、
なおかつ教育の現場に実現させることが出来るためには、
その概念が、生徒の行く末に実質的な得をもたらすことを証明せねばならないと思う。
生徒だけでなく、保護者や教師たちにもだ。
でないとそんなことは叶わないのではないか、と私は思う。
だがこれも正直言ってかなり難しいんじゃないか。
字面はすこぶる美しいが、とくに保護者は自分の子供に対して、
将来安定した生活を送ることのできる教育を最も望んでいるだろう。
現実的には、
安定した生活を送ることの出来る選択肢をもった進路に必要な教育に対して、
その概念が確実に有益な影響をもたらす、ということを証明する
ことが最も確実な方法じゃないかな。
どちらにしろ難しいと思うけど。

>自ら学習の機会や意欲を確保する生徒なら、何も塾に行くことはない。
>意欲さえあれば塾に行かなくても、
>高い得点を維持することは不可能ではありません。
誤解を恐れずに言うならば、
これは私が自分の身をもって中学2年生の後半まで実証したことだよ。
塾になんか行かなくたって、学年一位を維持することはできる。
別に、アホみたいな問題集を死ぬほど買って、
死ぬような思いをして、学校で習ってないような勉強をする必要もないと思う。
だからってそれを、私であったればこそ出来たことだなどとは少しも思わない。

だけど、それ、あまり保護者は信じないと思うよ。

>塾に行くことは学習の機会を人為的に介入して増加させるだけのことです。
ここは、ちょっと違うな。
単なる学習の機会じゃない。
学習内容にしろ、他の生徒と競争することにしろ、
「生徒が能動的に学習するための興味を持たせる機会」
ということじゃないかと私は思う。

>意欲さえあれば塾に行かなくても、
そう、ここだ。


私が中学2年生まで塾に行く必要がなかったのは、勉強が面白かったから。
面白いことはやるよ。少なくとも面白くないことなんかよりは。
私の文面は、
主に学校や保護者に対してのバッシングに見えるかもしれないんだけど、
それはなぜかって言うと、その「興味を持たせる機会」というのは
保護者や学校がもっと積極的に与えるべきじゃないかと思ってるからだ。

ちょっと話がズレて申し訳ないんだけど。

子供は「ただの」勉強なんてやらない。
つまらないならなおさら。
そこで積極的に勉強をしない子供に対して、親や学校が不満を露わにする。
そこで全ての皺寄せがなぜ子供にばかりいくのか。
勉強して欲しいならどうして、勉強が必要になるまでの間何の配慮もしないのか。
べつに、こんな怒りなんてどこにもぶつけようがないんだけど。

面白いとこ見せてやりゃいいのに。
中学生までに、それを自分で見つける能力を培うのは難しいだろう。
だから、中学生まではちゃんと見せてやるべきじゃないかと思うんだ。
自分の生徒だけでもなんとかしてやりたい。

>>教師の資格問題
う~ん、いい指摘だねぇ。
これに関して詳しい意見は後日に書くつもりだから、
議論はそのときに。

よろしく頼む。

どうもこんばんは。
立ち飲み屋で酔鯨(ポン酒ね)飲んだあと、
ネットカフェから書込中。

まあ、議論すべき話題はたくさんあるのだろうけれど、
とりあえず意見の相違が見られたと思う部分だけコメント。

>うん、敬意は払ってないな。
>なぜならば、面白くもない勉強をわざわざ、
>しかも成績を上げるためだけにやってるような
>そんな子達にそれほど深く共感できないからだ。

ここで問題になっていたのは、学校に行っているのみの生徒と
それ以外の手段で勉強している(あるいはさせられている)
生徒たちとの学力差でした。
「面白くもない勉強をわざわざ、
しかも成績を上げるためだけにやってるような」
そういう状態にあるのは、多くの塾通いの子供たちや
通信教育の講座を受講する生徒たちの多くにおいても同様で、
そこに本質的な差は見られないように思われます。
つまり私が言いたかったのは、
塾に通わずに学校に通いながら勉強をしている生徒も
塾に行っている生徒と同様の、あるいはそれ以上の学力を
身につけることは潜在的に可能であるということです。
塾や通信教育のの強制力なく、それでも学力を向上させる
力をできるということは、彼らよりも強靭な精神力を
有するということに他ならない。
その点に敬意を払ってほしかっただけなのです。
もっとも、その努力の先に見据えているものが
果たして素晴らしいものか、不幸にしてそうではないかは
また別の問題といわざるをえませんが。

>「生徒が能動的に学習するための興味を持たせる機会」

もしこで本当にそう思っているのなら、
君と俺の考えはずいぶん違うことになります。
中等教育まで(つまり高校まで)の段階で「能動的」と呼べる
部分はきわめて少ない。
塾に行くということは、その能動性を発揮するための
きわめて少ない機会さえ専門業者に代行してもらうということ
にほかなりません。
確認しておきますが、自ら教科書を開くだけの行為を
「能動性」ということばで表現するつもりが俺にはない。
そんなものはせいぜい受験戦争の尖兵となるための士気を
自ら表現していることにしかならない。
そうではなくて、
自ら教科書の向こう側をのぞいてみようとすること。
これこそが俺の言う能動性。

昨夜はすいません。
どうも思ったより酔っぱらってたらしく、
所々にタイプミスが見られますな。

さて、あれではさんざんなので、もう少しちゃんと考えてみよう。

>うん、敬意は払ってないな。
>なぜならば、面白くもない勉強をわざわざ、
>しかも成績を上げるためだけにやってるような
>そんな子達にそれほど深く共感できないからだ。

この点について、もう少し。
塾に通っている子どもたちの中にも、ある科目の面白さを見いだすことに
成功して、点数のためというよりも、ただ楽しいから勉強しているという
子どもたちもいます。上のような発言は、そのような子どもたちがいること
を完璧なまでに無視していると言わざるを得ないでしょう。

また、競争社会に生き甲斐を見いだす生徒たちもいることでしょう。
上がっていく各指標の数値を目にするのが楽しい、という類の生徒です。
現代社会では、確かに競争に積極的に参加すること自体を何か浅ましいこと
のように言う人々も確かにいることはいます。
しかしこのような人々は市場主義経済に立脚した社会に生きる者として、
少々<平等>の意味を見誤ってしまっているように私には思われます。
彼らが求めるのは結果の平等でありますが、
本来健全なる競争の上にこそ成立する市場主義経済制の社会にあっては、
追求されるべきはむしろ機会、つまり始点の平等ではないでしょうか。
したがって、競争社会でたくましく生きていくために比較的若年の段階から
競争に慣れるのは決して悪いことではない、とそのように私は考えます。
私もVestaもいくつかの競争の中に、確実に何らかの楽しみを見いだしていた
のではなかったでしょうか?勝ったり負けたりしながら、楽しんでいた。

上のVestaの意見に、教育の実利的な意義について強調すべし、というのが
あったが、これについてはまるっきり信用なりません。
なぜか。多くの一般企業は、中等あるいは高等教育の内容にあまり注意を
払っていないように思われるからです。どういうことでしょうか。
例えば、大学で法学を専攻したとします。
政治学講座に所属し、学生が熱心に政治史、政治思想などを研究してすべて
最高の評価を得られたとしても、そんなものは卒業後の仕事に反映されない
のがほとんどだと聞きます。例えば、大銀行に就職が決まったとして、
マキャベリの思想など何の役に立つでしょうか。
だからこそ、私の知る限りすべての企業では新人研修が行われることに
なります。大学の知識など実社会では役に立たない。だからわれわれが一から
教えてやらなければならない。そう言いたげに思われます。

それでも先入観ははたらきます。
企業にも、保護者にも、そして生徒自身にも。
私自身しばらくはそうした先入観の犠牲者でした。
法学部に入れば将来安泰だ、とか、
文学部なんかに行ったら人生台無しだ、とか、
英文科に行っておけば外資が何とかしてくれる、とか。

そんな話を鼻で笑い飛ばし、生きたいように生きられる地力をつけること。
それが私にとって理想の教育であり、それこそ真の<生きる力>とやらだ、と。
そのように私は考えるわけです。そういう意味では私自身にも後遺症は
残っています。私はまだひとりの力で好きなように生きられない。
権威に「くそくらえ」と言えるだけの根性は身に付きましたが。

あーなるほど。
そうでしたか・・・

教科書の向こう側、ね。

>塾に通わずに学校に通いながら勉強をしている生徒も
>塾に行っている生徒と同様の、あるいはそれ以上の学力を
>身につけることは潜在的に可能であるということです。

それもそう。
ただし、可能的にだ。


>塾や通信教育のの強制力なく、それでも学力を向上させる
>力をできるということは、彼らよりも強靭な精神力を
>有するということに他ならない。
それが出来るんだったら、少なくとも私なんかよりは強いだろう。
弱いよ、私は。
今もかもしれん。
それが出来る奴には敬意じゃなくて畏れを払う。

で、自ら教科書の向こう側を覗こうとする、と。
「最終的」にはそれが良いに決まってら。

でも、どうするんだい?
まさか中学生全般にそれを培うよう教育を施すわけ?
文面から明らかだと思うけど、私はそんなことが出来るとは思わないね。
少しも。
教科書の向こうに興味を持つのも、向こう側を覗くのと同様、
自らそれを望むようにはなかなかなれないんじゃない?

中学生を受け持つ講師としては、そこに踏み出す可能性を残すために、
まずは勉強というものの意識を変えるべきだと思う。
かといって、その先に踏み出すのは難しいんじゃない?
中学生までの教育で為すべきなのはそこまでじゃないかと私は思うんだけど。
せいぜいいっても、ヒントだけ。
他人を蹴落とす、とか単に勉強が面白おかしい、とか
最初は何でもいいから、生徒が自ら勉強に手を出すための機会を。
勉強が苦痛でなくなったら、その次に進めるかもしれないヒントを少々。
その先やるかやらないかは生徒自身にかかってると思うし、
その先を中学生には望むべきじゃないんじゃないか。

と、授業をしているうちに思うようになった。

あ、まだあった。

>上のVestaの意見に、教育の実利的な意義について強調すべし、というのが
不必要なことは学校でやるべきではないという親は多い。
根強いね。
いくら人生経験になりそうな特別授業だって、
授業時間を削ってまでやって欲しいとは思われていない。


>あったが、これについてはまるっきり信用なりません。
>なぜか。多くの一般企業は、中等あるいは高等教育の内容にあまり注意を
>払っていないように思われるからです。どういうことでしょうか。
>例えば、大学で法学を専攻したとします。
>政治学講座に属し、学生が熱心に政治史、政治思想などを研究してすべて
最高の評価を得られたとしても、そんなものは卒業後の仕事に反映されない
>のがほとんどだと聞きます。例えば、大銀行に就職が決まったとして、
>マキャベリの思想など何の役に立つでしょうか。
>だからこそ、私の知る限りすべての企業では新人研修が行われることに
>なります。大学の知識など実社会では役に立たない。だからわれわれが一から
>教えてやらなければならない。そう言いたげに思われます。

そんなことは微塵も言いたいとは思わないぞ。
大学に上がるまでに経験してきた物事は社会でも役に立つだろう。
私は役に立ったぞ。
だが、たとえば自分の子供を大学にまでやろうとしているような
中学生の子供を持つ親の多くは、
大学進学への意義を学歴や就職以外の視点で評価しない。

>法学部に入れば将来安泰だ、とか、
>文学部なんかに行ったら人生台無しだ、とか、
>英文科に行っておけば外資が何とかしてくれる、とか。
つまり、こういうことさ。

>そんな話を鼻で笑い飛ばし、生きたいように生きられる地力をつけること。
いや、だから私だってそれはいいと思っている。
それが一番だと思っている。
しかし、
類似した理想を口にする保護者でさえ(それが本気かどうかもどうでもいいが)、
一番気がかりにしているのは、子供が将来安定した生活を送れるかどうか、なんだ。
一番気がかり、っていうのは
「ちょっとでも学歴や後の就職に支障が出るようなら、
人間性を養う教育の時間も削らざるを得ない」
という風に考えるってことさ。

>そんな話を鼻で笑い飛ばし、生きたいように生きられる地力をつけること。
今までそんなこと大事だと思わなかった人なんか、
そこのところに意義を見出すのは難しいと思う。
理想だけを単品で説いてもさ、理解はしてもらえるだろう。
だけどね、それを実践するのはまた別の話。

>そんな話を鼻で笑い飛ばし、
たとえばここのところなんて、自分の子供には意思を強く持ってほしい、
なんて思ってる保護者にはウケがいいはずだ。
だけどね、子供に失敗して欲しくない親なんか、
ちょっとでもリスクを被る可能性があっただけで、
そんな思想には手も出さないはずだよ。
はっきりとものが言える大人になって欲しい、
とか私の生徒の保護者もよく言ってる。
ただ、そのせいで重要な人間関係に軋轢を発生させてしまったら?
たとえば、会社や学校や、ご近所関係なんかに。
そこで意思を強く持ちつつ、
社会とのバランスを保つ教育を施す自信がないだけかもしれないけど。

んな温室教育は私だって大嫌いだが、
真剣なゆえに誰だってリスクを第一に避ける。
ここぞとばかりに可能性さえ避ける。
だから、メリットが大きく実用的であることをアピールしない限り
多くの人々に受け入れられることはないだろう。
私はそういいたかったわけよ。

>可能的に
やーい、哲学用語www

>まさか中学生全般にそれを培うよう教育を施すわけ?
「生きる力」を養うことの目的は、本当はここにあったのでしょう。
頓挫したけれど。地力をつけるための、素地を身につけることさえできてない。
だけど、そこで場当たり的に学力だけを問題にするのは論外。
一生懸命やってるうちに、みんなしてゴールを見失いそうになっている。
常に終着点はどこにあるのかを見据えること。
それが必要なのではないですか。それとも中学生を教える講師さんは、
中学生の段階だけを面倒見ればそれでよいとでも言うのでしょうか。
生徒さんのその後を考えれば、確かに中学生担当講師が実際に教えるのは
勉強を苦痛に思わない範囲までであるとしても、ゴールをしっかり
見据えておく必要があるように思われます。
オトナがみんな強くゴールを意識して、教育課程全体をデザインして
いかないことには、その義務教育の段階で思考停止に陥る恐れがあります。
実際、自身が思考停止して、競争だけに注目してしまい、
競争社会における実利的なメリットだけを追求している事例は
枚挙に暇がない、と断ぜざるをえません。
そこで競争し、蹴落として生き延びることこそ人生だ、
などと主張している人までいる始末です。私はそれが気に入らない。

>大学に上がるまでに経験してきた物事は社会でも役に立つだろう。
>私は役に立ったぞ。
ここでは明らかに論点がすり替わってしまっています。
あくまでも受けた教育内容(学習内容)の話であって、
教育課程の外側に位置する課外活動や人生経験について言っている
というわけではありません。
二次方程式の解の公式を暗記して何の役に立つのか、とか
1333年に鎌倉幕府が倒幕されたことを覚えていてカネになるのか、とか
その手のよくある主張について言及したつもりです。
人生経験が役に立たないとは言っていないので、誤解しないでください。

>理想だけを単品で説いてもさ、理解はしてもらえるだろう。
>だけどね、それを実践するのはまた別の話。
哲学の学生の悪いくせが出てしまったでしょうか。
しかし、理想を理解さえしてもらえないというのが本当のところです。
空論に過ぎない、と一蹴されることのほうが多いと、
経験的にそう思っています。しかし、理想を実践できないのはなぜか。
ゴールを見失った(一流大学合格→一流企業がゴールだと信じて疑わない)
そういう教育に浸りきって地力を失った者が、大学の看板でしか勝負できず
さもそれが正論であるかのように強がっているに過ぎない。
そう、高校や大学の看板でしか勝負できない連中。
私の生徒たち、いや、弟子たちにはそうなってほしくない。
看板なんかなくても楽しく生きていけること。
それが私の言っている地力にほかなりません。
もうすぐ、私も自らの地力を試される日が来るのでしょう。
正直、願書は書いたが大学院に行くことに疑問を持ち始めてきました。

羨望され、揶揄され、肯定され、否定される、
ある意味、日本で最も有名な学校。
そこを卒業し、しかし、その看板を当てにせずに生きてみたい。
そう思うようになっています。
看板なんてどうでもいい、日本全国の子どもたちがそう思ってくれればいい。

>ただ、そのせいで重要な人間関係に軋轢を発生させてしまったら?
>たとえば、会社や学校や、ご近所関係なんかに。
強い理想をもったからと言って、人間関係が必然的に破壊されるとは
限りませんよね。その理想によって、生涯の同志を得ることもあるし。
しかし、まあ、そういうリスクを全部避けて通るのは地力のなさを自ら表明
しているようなものです。
理想も持てない社会で、人はどうやって自由に生きたらよいのですか。

>真剣なゆえに誰だってリスクを第一に避ける。
これは完全に独断でしょう。
真剣なゆえにすべてを懸けて、リスクを背負う人もいるのです。
そういう人たちを忘れてはならないと思います。

>多くの人々に受け入れられることはないだろう。
別に多数決ですべてが決するわけではない。
それとも、みんながやっていることが絶対に正しいのですか。
少しでも受け入れてくれる人がいるのなら一緒にやってみればいい。
それくらいのリスクを背負える人がまだまだこの国にはいると信じたい。

>「生きる力」を養うことの目的は、本当はここにあったのでしょう。
>頓挫したけれど。地力をつけるための、素地を身につけることさえできてない。
ああ、頓挫したね。
思いっきり真正面からすっころんだ。


>だけど、そこで場当たり的に学力だけを問題にするのは論外。
>一生懸命やってるうちに、みんなしてゴールを見失いそうになっている。
すっころんだついでに中学生全体の学力が下がったということで、
「今のうちならうちの子も・・・!」とか、
「こういうときこそ!」だなんて欲が出てきて、
これまでよりも少し学歴社会を加速させる結果にさえなってるんじゃないかと思うよ。
世界の果てのような片田舎でそう思った。(笑


>常に終着点はどこにあるのかを見据えること。
>それが必要なのではないですか。それとも中学生を教える講師さんは、
>中学生の段階だけを面倒見ればそれでよいとでも言うのでしょうか。
その言い分も尤もだ。
そんなの私だって分かってる。
だがね、限界があるんだよ。
例えばそんな教育を、学力向上と両立させていくのであれば
実践に際しての問題はない。
家庭教師に関して言えば、
最も優先すべき業務は生徒の成績を上げることだからね。
もし成績が下がるような、
あるいは保護者にとって不満足のまま維持されるようなことがあれば、
金輪際生徒に接触できない可能性さえ付きまとう。
そういう意味では、学校の教師や保護者が一番やりやすい位置にいると思う。
要するに、講師の能力的な問題も付きまとうんじゃないかな、その理想。

私だってできうる限りはやっているつもりだ。

でもね、はっきりいって自信ないね。
たとえばどっかの誰かみたいに、
生徒の偏差値を20~30上げながらゴールを見据えた人間性までも培う授業をやる、
とか。

声高に言ってやろう、そこまで出来る自信はないと。
それで講師としての資格が根本から問われるのか。
出来うる限りが為されればそれで十分だ。
保護者がそれを無駄にしないよう気を配ってもいる。

>生徒さんのその後を考えれば、確かに中学生担当講師が実際に教えるのは
>勉強を苦痛に思わない範囲までであるとしても、ゴールをしっかり
>見据えておく必要があるように思われます。
時間があれば私だってもっとやる。
しかし、このような目的にかなった、
生徒へのアプローチやレスポンスが効果を現すのには時間がかかる。
そして、なによりも継続してアプローチを試みる必要がある。

>オトナがみんな強くゴールを意識して、教育課程全体をデザインして
>いかないことには、その義務教育の段階で思考停止に陥る恐れがあります。
そうだ。君だって知っているだろう?
教育とは、生徒を取り巻く環境も含めてのものだ。
ゴールを見据えた地力を培うために、例えば我々のような人間が努力したところで
それを減退させる得る影響を、生徒の周囲の他の人間が与えてしまう。
そのせいで、考え抜いた末にそれまで尽力してきたことが効果を為さなくなる。
そんな経験はなかったかい?
だから、社会の中でも多くの人間がそんな理想を抱いていない限り、
いかな理想も努力も徒労に終わるのではないか、と私は思う。

>実際、自身が思考停止して、競争だけに注目してしまい、
>競争社会における実利的なメリットだけを追求している事例は
>枚挙に暇がない、と断ぜざるをえません。
>そこで競争し、蹴落として生き延びることこそ人生だ、
>などと主張している人までいる始末です。私はそれが気に入らない。
私だって気に入らない。
そんなものクソくらえだ。

>二次方程式の解の公式を暗記して何の役に立つのか、とか
>1333年に鎌倉幕府が倒幕されたことを覚えていてカネになるのか、とか
>その手のよくある主張について言及したつもりです。
>人生経験が役に立たないとは言っていないので、誤解しないでください。
はい、誤解してましたすいません。(笑

>看板なんかなくても楽しく生きていけること。
>それが私の言っている地力にほかなりません。
それがいい。
一番いい。
看板のない連中と看板のある連中の間にある軋轢で、
お互いの壁をどんどん広げていくような悪循環が終わるなら、
この国ももう少しマシになるかもね。

>正直、願書は書いたが大学院に行くことに疑問を持ち始めてきました。
そこで止まる人間なはずがないからこそ、私は友人としてさほど心配せずに済む。
そこで疑問を感じる人間は結構見かけるが、私の周囲では、みんなそこで止まった。
その次に上げる声はなかったよ。完全沈黙だ。
理由は自信がもてないから。
看板が気になる国だからか。

>羨望され、揶揄され、肯定され、否定される、
この軋轢によって生まれるある種の悪循環。
もし止まるようなことがあればなんとかなるんじゃない?

>看板なんてどうでもいい、日本全国の子どもたちがそう思ってくれればいい。
そうなったらいいな。

>強い理想をもったからと言って、人間関係が必然的に破壊されるとは
>限りませんよね。その理想によって、生涯の同志を得ることもあるし。
そりゃあそうさ。
その可能性だってある。
だけどね、保護者を納得させるためには、
良いことが必然的に起こるという保障までしてやらないとダメなんじゃない?
そこは譲れないな。

>しかし、まあ、そういうリスクを全部避けて通るのは地力のなさを自ら表明
>しているようなものです。
地力のない人間が、どうやって子供の地力を培うっての。(笑
教育における権力や影響力を最も強く握っているのは、
その地力のない人間なんだよ?
わかってるだろう、そんなの。

>理想も持てない社会で、人はどうやって自由に生きたらよいのですか。
そうきたか。
君の理想それ自体に文句はない。
もし実現するならば、それ以上嬉しいことはない。

だけど、
実質的な得をもたらさない(自分やその子が目の当たりにすることができない)
と(いわゆる「民主的な社会」における)人々に解釈された理想が、
(「民主的な社会」の意味についてはひとまず保留するとして)
広く一般に浸透したためしがあるかい?
理想を持つなとは言わない。
ただし、
実質的な得を即時に目の当たりにしてやれないような理想を説くならば、
妥協を重ねながら段階的に実現を試みるべきだ。
それが一番の近道であり、確実なものと私は思う。

>>真剣なゆえに誰だってリスクを第一に避ける。
>これは完全に独断でしょう。
>真剣なゆえにすべてを懸けて、リスクを背負う人もいるのです。
>そういう人たちを忘れてはならないと思います。
忘れないにしたって、そう多くはないと私は思うね。

>>多くの人々に受け入れられることはないだろう。
>別に多数決ですべてが決するわけではない。
>それとも、みんながやっていることが絶対に正しいのですか。
それはそうだろうが、

>少しでも受け入れてくれる人がいるのなら一緒にやってみればいい。
少なくとも、私と一緒にそれを試みようとする人は周囲にはいないね。
その点では、私は君と同じ理想を持つ一講師としてほぼ無力に等しい、と思う。

私はあくまでも、
このような理想の実現に関しては社会の多数者が優位であり、
実現に際しての最も高いハードルはそこにこそある

と主張する。
もちろん多数者がいつも正しいなどとは思わない。
思わないけれども、概ね思想的なものを含む考え方の浸透については、
多数を占める考え方にも賛同を得ないことには、いかんともしがたい、と思う。
ことに教育の問題となると、
少なくとも多数者、あるいは影響力の強い複数の人間が、
似通った方向性のアプローチを子供に対してしなければならないだろう。


>少しでも受け入れてくれる人がいるのなら一緒にやってみればいい。
もしもこの例において実現がかなうならば、
私の言うような実質的な得を、多数者に対して示す一例になる可能性はある。
それならば、後に続こうとする人々が出てくる?
そう思うかい?
私はそれも怪しいと思うけど。
少数であった時点で、それが「特別な例」として扱われる可能性の方が高い。
結局「ウチじゃそんなリスクなんか負えないわ」となるんじゃないかな。

現実的に考えよう。
実現させたいのならばなおさら。

>理想も持てない社会で、人はどうやって自由に生きたらよいのですか。
君の方が、答えを急いでいるような気がするよ。
実はわざとなんじゃないかと疑ってもいる。(笑

君はこの、いわば公開討論のようなものにいくばくかの希望を持ってるんだろう?
私も持っていないとは言わないが。
だけど、届くかな?


追伸
ごめん、次の記事書いてもいい?(爆

いやいや、遅くなりまして。
こっちじゃ、色々バタバタしてましてね。
私事を先に書いてもいいですか。
夏学期の成績が出ました。まあまあ、かな。

哲学特殊講義(M.I.助教授)  優…ベイズ主義的認識論。確率を持ち込む
哲学特殊講義(H.M.教授)   可…一回も出てないのにw、先生ごめん
倫理学特殊講義(M.K.講師) 優…メディア系。N○Kにも出てる人
倫理学特殊講義(K.K.教授) 優…お坊さん。武士道について
宗教史概説(S.S.教授)    良…ちぇ、力作だったのにな
美学概論(K.N.教授) 可…えぇ~?!
心理学特殊講義(R.Y.講師) 優…名前だけでほんとは統計学の講義
原典を読む(K.M.教授) 優…Chomskyを読む言語学系のゼミ。髪無い
生命倫理特殊講義(N.N.講師) 優…医療関係の倫理。この先生も髪無い
環境倫理特殊講義(S.K.教授) 優…その名の通り環境問題関係の倫理学
応用倫理研究(Y.K.講師)   優…これも医療系。ただし古典を扱う

…というわけで、22単位ゲッチュ。少なっ!
これで、既に取得した単位と、取れないと卒業できない卒論の単位を
考えて逆算すると、あと、に、に、24単位…
現実的な数字で痛いな。
取れるけど、最後までぎりぎりな私。ぐふふ…(遠い目

さて、本題に入りましょうか。
あ、上の私事、邪魔なら消去の方向でwww

ええと、まずはVestaに、丁寧なレスありがとう。
丁寧すぎて若干、私の繊細な眼球が悲鳴を上げておりますが、
趣旨は大体次のようなものではなかったでしょうか(違うならそう言って!
つまり、You-Know-Whoの考え方はあまりにも、
理想主義的、観念論的、概念的に過ぎ、建前としていかに美しいものと
読者の目に映ろうとも、ほぼ完全に実現の見込みがない。
まあ、要するにサギみたいなもんですか…はは。
悪徳商法の典型的なやり口もそんな感じだもんね。
一部のタチのよくない新興宗教とかね。

しかし、だ。
たかだかアルバイトとはいえ、一教育産業従事者としては、
このような意見に対してただ黙ってやられている、というわけにもいかない。
というか、これから述べることは私自身の勉強の軌跡でもあるっ!
…なーんて力んでも仕方ないのですが。

私が現場でやっている教育というのは、誤解を恐れずに言うならば、
私自身の軌跡の複製にほかなりません。
その方針は、徹底して先を見据えること。
中学生なら高校を見据え、高校生なら大学を見据える。
進む先で何が待ち受けているのか知っておけば、最も効率的に現行の
カリキュラムを再編成して、入るツボを押さえて、入ってからも脱落しない
教育ができるのではないか。ほんとはそれを自分でやってみるのが一番だけど、
それを代行するのが学校ではない、教育産業の任務。
そう捉えて弟子たちを厳しく鍛えています。

私自身、高校に入るときには高校課程に片足を突っ込んだり、
大学に入るときには大学の教科書や教授の著書をチラ見したりしたものです。

これは遠回りのようでいて、受験的にもきわめて有効でした。
点数が取れて、次を見据えながらヴィジョンを構築できる…可能性があるw
そう、私の方法論はきれいごとでありながら、実利的でもあった。

何が言いたいのか。
要するに、地に足のつかない抽象論をやっているつもりが私にはない。
そういうことです。
私のやり方は一定の成果を上げている。

私自身、第一志望校に通い、
学年ビリケツの英語嫌いだった生徒が、いまや有名私大の英文科、
ほかにも、医学部やら後期試験やらいろいろ手がけました。
実利的な欲求についても、(不本意ながら)対応しています。ばっちりと。

それでも根底にあるのは、気になることを考えてみるっていう、
そういう姿勢や試み、なんですけどね。
議論の方法論や段階は個々人でさまざまだけど、基本的な姿勢は
みんな巣立っていくときにはそっくりになる。
こういう理想をもって苦労することも多々あるわけですけどね。
これはこれで、悪くない。
いや、わりとましなんじゃないか。
指導要領がどうのこうの、じゃなくて、好きなことを好きなだけがっつり
やってみてからでいい。高校範囲でも大学範囲でもいいじゃないですか。
深くやってるうちに、ほかの分野の必要性も自然に感じて、
がんばるようになりますよ。そこまでいくのが大変だけど。

この現象を、哲学の逆襲、などと勝手に名付けて最近ほくそ笑んでいます。

…というわけでした。
え、答えになってない??

まぁ、
>私が現場でやっている教育というのは、誤解を恐れずに言うならば、
>私自身の軌跡の複製にほかなりません。
>その方針は、徹底して先を見据えること。
>中学生なら高校を見据え、高校生なら大学を見据える。
>進む先で何が待ち受けているのか知っておけば、最も効率的に現行の
>カリキュラムを再編成して、入るツボを押さえて、入ってからも脱落しない
>教育ができるのではないか。ほんとはそれを自分でやってみるのが一番だけど、
>それを代行するのが学校ではない、教育産業の任務。
>そう捉えて弟子たちを厳しく鍛えています。
多分君としては不本意だろうが、
それはYou-Know-Whoだからこそ出来ることだと私は今でも思ってるよ。
ごめんな~

>指導要領がどうのこうの、じゃなくて、好きなことを好きなだけがっつり
>やってみてからでいい。高校範囲でも大学範囲でもいいじゃないですか。
>深くやってるうちに、ほかの分野の必要性も自然に感じて、
>がんばるようになりますよ。そこまでいくのが大変だけど。
そう、そこが大変だ。
私も好きなように好きなだけ好きな勉強だけをやってるわけだが、
周りに強制されない勉強だと、
自ら目的を探し、しかもそのために何が必要なのか自分で調べる
ということが誰の助言もなしに実行できるようになるのが最も望ましい。
そこまでの間、周囲の人間が子供に対して何をしてやるべきか、とか
どの時期までに何を目標としたらよいのか、などの
基準をどうすべきか、教育する側としては非常に頭を悩ませるところだ。

まぁ、いいや。
ちょっと、いや大分予定が前後したけど、
また時間のあるときに次の記事書きまーす。

You-Know-Who、ご協力に感謝する。
そして次もよろしく。
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